理由を探しているんだ!!!

僕はすべてを信じているのかもしれないし本当はそれを軽蔑していないのかもしれない、一体全体どのようにして、どうしてこの直線の果てにある一切の事象が今を前提にして証明できてると言う。

近親愛を支持せよ!

恐らくの領域を出ない。

でもここには無限の赤赤と光りゆく艶めかしい論理的正しさ的暴力的破壊性が存在するのかもしれないという可能性と期待が秘められている。

少なくとも近親愛という存在そのもの、近親相姦という情愛的な「狂気」行動が既存の市場化され万事的に可視化され完全に「社会化」「反個人主義化」「共用的価値観化」された我々の最も身近なコミュニティ内部の恋愛に対する激的で熱烈なまでのアンチテーゼを示せられる唯一の効果的な希望ということには変わりがないのだ。やはり僕はそういった意味で近親愛を支持したいし、近親壮観には革命性があるのだと信じたい。多分僕がこんなこと言ってるくらいだから絶対に近親愛は凄く良いものなんだと思う。少し安心する。21世紀は集合が完成する時代であり、同時にそこから解放される時代なのだ。

 

もうちょっと後で詳しくまとめてみるか。

Pri Naciismo

Nu, Mi parolos al Vi. Pri Naciismo.

Kion Mi volas diri estas, Revoluciuloj ne devas senkondiĉe rifuzi naciismon.

Ĉe La mondo, Sed Ĝi ne estas 'Ĉe La Japanio', Iel, Movado de Naciisto etendantas En multaj Ejo. Multaj Aŭtoritateculo kiu estas konfirmitas de Ili mem Kritikas, Misuzas, kaj Forigontos Irin. En la Germanio, Aktuale Iri estas Forigita kaj Malliberigita! De La Aŭtoritateculo kun haŭto de demokratiulo! 

Ĉiam, Mi malŝatas La Ilian Aŭthoritatetismo kiu estas alvokata La Demokratio por Batalo.

Pro tie ke, Demokratio devas esti La Demokratio de Civitanoj de Ĉio. Estas la Demokratio de Ni ĉiujNeniam estu Demokratio de iuj civitanoj. Neniam estu Demokratio Forigu Kiun. Jes, Eĉ murdistoj, nova-nazioj, eĉ teroristoj. Neniam forigu kiun. Se vi forigos ĝin, dolora kompenso certe venos iam. Precipe nova-nazioj kaj "teroristoj". La Politika Kaoso en Eŭropo estas nun ĉi tie ĉar Nova-nazioj kaj 'Teroristo' estis ĉiam ekskluditaj dum 75 jaroj post la milito. Demokrataj Aŭthoritatetismo devas bone kompreni ĉi tion. Almenaŭ mi sentas min tiel.

 

Ĉar Nu, Tio estas ĉio por hodiaŭ.

小説を書くのはつらい

 初めに言っておくが、これはただのポエムであり、駄文であり、文字書きであるにもかかわらず文の製造作業に苦を呈してYoutubeで音楽を聴きながら「ブログ書くかー」なんてツイッターでほざいている人間の、どうしようもない蚯蚓の様な文章である。それでも良いという奴は感性が死んでるので海外旅行にでも行け。

 

 小説を書くのはつらい。小説には救いがない。

 例えばシージを始めよう。すると、救いがある。GTAでもBFVでも良い。即時性の快楽物質により脳が素晴らしくハイになる。

 貴方は小説を書きたいか? 忍耐がないなら止めた方が良いだろう。執筆とは登山である。訓練を積まなければサガルマータには登れない。訓練を積んでも途中で幾人も挫折する。初心者には最初の8000字を超えられるかどうかが難関ともいわれるが、実際にはその十倍以上の量を書かないと作品は完成しない。ちなみに十万字書いても執筆者がバカだと作品が完成しないこともある。

 小説とは継続である。継続しないと続かない。一日七千字を二週に一回出す人よりも一日二千字を継続できる人が千倍偉い。四倍じゃないかという指摘は気にしない。

 小説は精神を消耗させる。例えば編集者から評価シートを貰うとしよう。無慈悲な批評家棒でボコボコに殴られる。残るのは血溜りと絶望である。

 小説を書く人間には色々いる。一年で十二作完成させるものもいれば二年に一作というものもいる。平均して原稿用紙一万枚書けば受賞できると言われている。受賞しない人はそれまでに挫折するか自殺する。

 まぁ、小説はそういうものである。しかし特殊性の人間はそこに吸引されてしまう。何故か私は解らない。即時的苦しみを越えた先のヘロイン級の快楽が因とされるかもしれない。確かにアレは格別だ。

 

 小説を書くことを勧めてみよう。ポエムを言っても仕方がない。残るのは自声の残響。離れるものが全てである。

 文字書きは感情を大切にする職業である。音楽を聴いたり又奏でたり、プラットフォームに拘束されず色々な作品を経験し得て、感情を養う。そこに本質があるものだ。

 今貴方が小説を書きたいと感じているならば、迷う暇などない。一刻も早くテキストエディタなりグーグルドキュメントなりに向かってキーボードを打ち続けるべきなのだ。若しくはペンと紙だけでも良い。書く時間を選んではいけない。書きたいときに書くべきなのだ。書きたくないときにも書かなければ作品は完成しない。

 前述のとおり文庫本換算で最初の十枚、大体8000字程度を超えられるかで力量がわかるとされる。試しに書いてみれば良い。それで超えられなくても悔やむことはない。文章的な問題は貴方が日毎書いてさえいればこれからどんどん、愈々と見るうちに伸びてくるはずだ。50万字ほど書いたらもう立派に文章のレベルは問題なくなるだろう。100万字ほど書いてしまえば書店に並んでても違和感はなくなるまでになるかもしれない。ここは身長と同じで個人差によるが、概ね二三年の間に解決してくるはずだ。

 文字書きとは思考を外界へ運び出す職業でもある。アウトプットすることを覚えなければならない。『マルドゥック・スクランブル』、『天地明察』などの冲方丁によれば小説とは「著者が作品に記すのに60%、そこから読者に伝わるのに60%、著者から読者に汲み取られる意思はせいぜい36%ぐらいしかない」といっているが、まさにこのとおりである。アウトプットの作法を学び、できる限り書きたいものをかけるようにしていかなければならない。勿論、自分自身の手法で。

 後、時間である。

 文字書きは多くの時間を必要とする。一度小説を書いてみた人は理解できるだろうが、我々が普段読む本の速度に比して書く量の速度は著しく遅くなる。早い人は一日で文庫本を読み終えるが、一日で長編一個完成させられる人は古今東西見ても存在しない。執筆速度において神と崇め称えられる森博嗣でも一時間六千字である。いやまぁ、プロットさえできてしまえれば三日で完成できるという人を僕は知っているが。誰とは言わないが、第二十五回電撃大賞受賞者のうちの誰かではあるとだけは言える。

 ああ、そう。プロットだ。小説を書くのには一般してプロットが必要である。プロットは設計図であり、登山計画書でもある。設計図がないと建築物は建てられない。どこか一歩間違えたり忘れたりしたら総崩れである。登山計画書がないと家族や警察に内容が伝わらない。これはプロになった際編集との会話でわかることだと思う。恐らくは。

 喫茶店なりなんなりで音楽でも聴きながら作品を考え付いた後は、その内容を一つ一つ、時系列順に記していくべきだと思う。そのうえで物語として、文としてどのように展開されうるかをプロットにして示すべきだ。そうすればわりと安心する。プロットさえあれば忘却という心配は必要なく、一か月後でも一年後でも三年後でもいつでもかけてしまえるのだ。大御所作家はプロットを常に作品其々十本はストックとして貯めているという。僕も早くそうなりたい。

 プロットが決まった後は各章ごとの文字数を決定する。序盤は少なめに、盛り上がりからラストにかけて多く、など、色々決定する。たいてい僕はここで失敗するか、ここまで決めきれず130枚という容量をオーバーして失敗になる。建築物高度が15mまでと決まっているどこかの都市で50mのビルを建ててしまうようなものだ。愚かしい。

 そうした作業をすれば、後は小説を書くのみである。ここについては継続がものをいう。早い人だと二か月で完了するが、半年ぐらいで仕上がれば十分褒められる領域であると感じる。実際、小説を完成できずに一生を終えるような人のほうが圧倒的に多いのだ。最初の作品を一つ完成せしめた時点で表彰ものだろう。たぶん。

 まあともかく、初稿を終えたら次は修正という推敲が待っている。もう一度あらためてリプレイをかけて、読み直してみるのだ。おかしい箇所があったら直し、場合によっては文どころかその章ごと改造してみる。そういう作業を一か月は繰り返して最終的に小説を完成させる。推敲の過程は印刷して紙に書いたほうが絶対によいだろう。少なくとも僕はそうしている。

 さすれば後は、個人の好きな賞に応募するのみだ。ラノベあたりが最近はよいのではないだろうか。SFもまぁ良い。大衆小説でも純文学でもなんでもいいが、好きなところに送るべきだ。後は例えばMFのようなラブコメの文庫にガチガチのミステリーを送るなど、そうしたことは避けるべきだ。一応レーベルカラーというものはある。そこらへん留意しておこう。

 

 とにかく、僕が言えるのは以上である。これをもってこの駄文執筆を終了する。三千字弱ほど書いて満足した。有難うはてなブログ

 

 

思ったこと:4月13日

 ええと、ここに何か文章を書くのは、割と久しぶりのことではないのかと思う。

 私は少し前から、というのは九月ごろから途切れ途切れに一月初頭までここでちょっぴりブログを書いていたような人間で、このはてなには結構疎い、余り得意ではなく、ツイッターで色々と日々の戯言を高言しているような、そんな人間だ。

 特に何も、紹介すべきことはない。思ったままの雑言を通してこの場で独り言を載せるものとするから、それを通して何かを知ってもらえれば幸いだとは思う。ああ、そう。囀話、囀話(てんわ)だ。それがこのブログを表すに足りるよい言葉となる。

 初回はそろそろこの辺りで終了、またいつか、話したくなり得たときにここに来る。

ツイッターというかコミュニティというものは作家にとって害悪以外のなにものでもないということについて

はい、九條領と名を改め再出発しました、ラノベ作家志望者の一人です。

昨日の一件、詳細を話せばツイッターアカウントを消したという事件ーーと二文字で断言してしまうのはやや不適格な話となってくるんですが、まあそれ以前に事件というよりは結論、アカウントを消したという結論という方が適切というか、とにかくその一件について言いたいことが。

なにもかも略してよくある啓蒙本のキャッチコピィ的に言えば、それは「作家はツイッターなんてやるな」ということになるんでしょう。

これは小説家としてのアカウント、その他趣味的なアカウントにしても同じです。

ただ、完全に仕事オンリー、宣伝オンリーの私的な感情がまぎれないアカウントなら、普通に大丈夫かと。

問題なのは某カタカナ名の反共主義者の人とか、ああいう感じにツイッターツイッターらしく使ってる方なんですよね。すべての作家に言えるわけではそりゃないと思いますが、絶対に言えることは自分はあんな使い方をしたらだめだ、ということです。

そして、コミュニティやら文壇やらに属したりするのも絶対にダメであって、間違いなく最終的にはハブにされる。追い出される。攻撃を受ける。包囲殲滅陣のもと何もかも失う。そんな感じです。

とある界隈に所属していたのですが、まあ、そこは端的にいってものすごい気持ち悪いところーーと隣接していたし、常にそこと交戦関係にありながら融和関係にあるというか、意味不明なところでした。意味不明といえばキーボード打つ際一瞬自分が端的を(はてき)と呼んでしまったこともそうなんですが、それはいいとして。

とある趣味においては皆共通していました。大きく視野を拡大して見れば何百何千、ひょっとしたら何万とまでいく巨大な世界だったでしょう。ですけど、とにかく趣味の中の派閥がすごいのです。自分が属していた派閥は、何万といた中で大きく見積もっても200人いるかどうかわからないところだったでしょう。

その中でもさらに小さな派閥に分類されます。一つは古参的な、昔からいるーー1990年代くらいからずっといる人たちで、年齢的には僕よりも20歳高いだろうし、ひょっとしたら30歳以上離れてたりすることはあります。一番低い人だとーーーー低い人だと一歳差もいるにはいましたが、明確にその派閥に所属している人だと、10歳は離れていました。まあ、自分の年齢そのものが低いので当然ではありますが。

そして、新規に入ってきた人々が古参的な人たちと時折対立をするということがこれまで何度も何度もあり続けました。人口的には新規の方が無論多かったと思います。当然、どこにもぞこさないような、なぜ自分とFFになっているのかわからない方もいました。その人とは、最後の日、までは仲が良かったのではないか、と信じています。最後のときは、私からブロックしました。断絶しました。そしてそれを彼は喜びました。客観的に考えればきっと、私のことを鬱陶しく感じていたんでしょう。気持ち悪いと考えていたに違いありません。私も彼を最後のときは気持ち悪いと感じていて、それがブロックする最大、唯一の要因でしたから。

話を戻します。

事件がどうして起きたのかというと、きっかけを作ったのは私ということになります。とあるクラスタを、より同じ趣味でまとまれる、一つのクラスタをつくり、団体、グループなどを作った、首謀者のうちの一人でした。

志向的には当然新規参入者的な方面で、それをより強くさせたような形でした。

当然、昔からいる方からは批判されるし、嘲笑されるし、中道的な方からも敬遠され、ブロックを検討されることだってありました。

だが、なぜでしょうか。悪ふざけのつもりなのか、彼らは監視しました。その詳細は言いませんが、とにかく、気持ちが悪かったです。派閥の防衛意識か、そのような責任感からなのか、意味が分からない、それだけにつきました。

その後も、色々とありました。

とにかく、気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。本当に、それだけでした。

いいことなんてなにも、なかったです。

最終的に私はアカウントを消して、ブログを開設し、今に至ったと、そういうことになります。誰も見てないただの日記帳のようなものなのですが、それでいいです。ブログでBANされるようなことがあったりしたらそのときは素直に日記をつけると思います。ツイッターのような短文投稿サイトを用いるというのは、文章的に作家にとって害をもたらせるなどという類の話をどこからか聞きましたし。

話したいことに題を移動させていただくのですが、一つにコミュニティに属する、ということは絶対にしてはいけない行為だと勝手に思いました。特に自分のような人間には。

『作家は孤独であれ』なんていう大層に見えるがしかし中身薄っぺらそうな言葉を自分の口から吐くというのは控えます。評論家さまに任せますし、ワナビーの自分が言っていい台詞ではありません。

だけど、そうだとは思います。孤独であった方がいいし、図書館の公開書庫で根暗に本を読み続ける。なんでもいいから本を読む、読む、読む。そして書く。そういうのが、僕にはあっています。実際、半年前までの僕はそれを貫徹していました。書くことに関しては自信はありませんでしたが。

集団からはなにも生まれません。全体主義と排外主義と無数の排泄物しか生まれません。排外主義と排泄物は語頭が同じですよね、そういうことです。クソと全体主義しか生まれません。

だから、一人がいい。僕は一人でいたい。一人でいなければならない。そうでないと、小説は書けないしいいものも生まれない。群れて生み出せるものは熱とゴミです。ワールドカップのときの渋谷に行けばわかるでしょう。行ったことありませんが。

そして、ツイッターとかでなにかを呟くのも、極力控えるべきです。自分の言葉は全て財産だと思い作品に吐き出したほうがよほどいいです。作品が汚れてもかまいません。一生のうちに10本しか小説は書いちゃいけないって誰が言いましたか。イエスですか。モーセですか。そんなんだったら無神論で結構です。というか前から無神論者でしたし私。

そして、自分の場合に限られると思うんですが、あと某カタカナ名の反共主義者でしたかね、その方もあると思います。昔の話を出せばGA文庫の誰かさまですね。そういう風にいうと生意気な気もしますが、いいとして。

政治的なことをつぶやくってのは、かなりのリスクです。作品が政治的なのは別にいいです。ですけど作者が政治的だと、例えば排外主義者だったりする偏狭なお方だったりの場合、いろいろと制裁を食らっちゃいます。致し方ないですね、ヘイトスピーチ禁止法が世の中にはありますので。

それ以前に、法律とかの問題じゃありません。今の日本は色々と政治的に厄介な国です。新右翼活動家で刑務所に勤めていた方の本が出版され何十万部三島由紀夫賞候補っていう時代じゃないんです。ほんと。調律の帝国は好きなんですけど、時代が変わってきています。

そして、文章力が落ちてしまうかもしれない、っていう問題はあります。なんとなく感じますし、ツイッターやると明らかに時間が無くなります。クソですよほんと。まあワナビーのほとんどは自分のようなツイ廃じゃなく毎日切磋琢磨に作品と汚物を生み出しているのでしょうが。流石に今のは汚かったですか。ええ、すみません。謝罪します。

とにかく、そろそろ結論付けなまずいということで、最終ステップに進みましょう。

ツイッターとか、フェイスブックとか、グーグルプラスだとか、インスタグラムとか、なんでもいいです。SNS全般です。

やめた方がいいです。

自分には、害悪しかもたらしませんでしたし、もう二度とあの世界に戻ることはない、そう決めてます。例外は作家になって仕事垢をつくったときだけですね。そのぐらいです。そのときも某カタカナ名の反共主義者さんのようなアカウントにするつもりはないです。

カクヨムも嫌いですね。ええ。一人でコソコソひきこもりながらニヤニヤしながらオタクして書きましょうよ、作品を。オタクしてアニメ見るんじゃなくて、オタクして小説を書きましょう。

ツイッターやってるやつなんてリア充です。だから、引きこもりましょう。

オフラインが、そう。ネットなんてなかった時代が、作家にとって一番すごしやすかったのではないか。そう思います。

 

私は、小説家になる決意を、しました。

ただ、それだけの報告です。ーー長くなりましたが、こんな怪文書にわざわざアクセスし最後まで見てくれた方がいたなら、それはそれで。ほかにやることがあるんじゃないですかね。

 

それでは、またいつか

脱出した!!!!!

みんな、みんなクソだ! くそ野郎だ! なんなんだと

ようやく解放された、あの世界から

なんなんだ一体

何も信じられない。もうなにもわからない。クソだ。とにかくいえるのは、人を信用するな、孤独であれ、一人であれ、ということだ

自分の信念を突き通すべきだ

なにがあろうと、惑わされるな

みな虚言癖のある犬野郎だ!

みな、嘘つきだ!

俺は、俺の信念を突き通す

書いてやる、成就させてやる

お前らが冷笑している間、ふざけるな

書くからな

なーにが思想だ。本だ。サルトルだ。フーコーだ。ニーチェだ。ハイデッガーだ。ウィトゲンシュタインだ。ポパーだ。マルクスだ。どうでもいい。糞喰らえ!

なにも行動も起こさず、ただどうでもいいようなことをぶつぶつとネット弁慶するだけか? 冷笑か? そして、新規参入者をひねりつぶす? クソか? 某五反田の文壇よりも糞だぞお前ら?

なんのつもりだ?

なんのつもりなんだ一体?

ふざけるな

ふざけるな

 

 

 

 

 

 

糞喰らえッ!!!!!!!!!