理由を探しているんだ!!!

僕はすべてを信じているのかもしれないし本当はそれを軽蔑していないのかもしれない、一体全体どのようにして、どうしてこの直線の果てにある一切の事象が今を前提にして証明できてると言う。

ツイッターというかコミュニティというものは作家にとって害悪以外のなにものでもないということについて

はい、九條領と名を改め再出発しました、ラノベ作家志望者の一人です。

昨日の一件、詳細を話せばツイッターアカウントを消したという事件ーーと二文字で断言してしまうのはやや不適格な話となってくるんですが、まあそれ以前に事件というよりは結論、アカウントを消したという結論という方が適切というか、とにかくその一件について言いたいことが。

なにもかも略してよくある啓蒙本のキャッチコピィ的に言えば、それは「作家はツイッターなんてやるな」ということになるんでしょう。

これは小説家としてのアカウント、その他趣味的なアカウントにしても同じです。

ただ、完全に仕事オンリー、宣伝オンリーの私的な感情がまぎれないアカウントなら、普通に大丈夫かと。

問題なのは某カタカナ名の反共主義者の人とか、ああいう感じにツイッターツイッターらしく使ってる方なんですよね。すべての作家に言えるわけではそりゃないと思いますが、絶対に言えることは自分はあんな使い方をしたらだめだ、ということです。

そして、コミュニティやら文壇やらに属したりするのも絶対にダメであって、間違いなく最終的にはハブにされる。追い出される。攻撃を受ける。包囲殲滅陣のもと何もかも失う。そんな感じです。

とある界隈に所属していたのですが、まあ、そこは端的にいってものすごい気持ち悪いところーーと隣接していたし、常にそこと交戦関係にありながら融和関係にあるというか、意味不明なところでした。意味不明といえばキーボード打つ際一瞬自分が端的を(はてき)と呼んでしまったこともそうなんですが、それはいいとして。

とある趣味においては皆共通していました。大きく視野を拡大して見れば何百何千、ひょっとしたら何万とまでいく巨大な世界だったでしょう。ですけど、とにかく趣味の中の派閥がすごいのです。自分が属していた派閥は、何万といた中で大きく見積もっても200人いるかどうかわからないところだったでしょう。

その中でもさらに小さな派閥に分類されます。一つは古参的な、昔からいるーー1990年代くらいからずっといる人たちで、年齢的には僕よりも20歳高いだろうし、ひょっとしたら30歳以上離れてたりすることはあります。一番低い人だとーーーー低い人だと一歳差もいるにはいましたが、明確にその派閥に所属している人だと、10歳は離れていました。まあ、自分の年齢そのものが低いので当然ではありますが。

そして、新規に入ってきた人々が古参的な人たちと時折対立をするということがこれまで何度も何度もあり続けました。人口的には新規の方が無論多かったと思います。当然、どこにもぞこさないような、なぜ自分とFFになっているのかわからない方もいました。その人とは、最後の日、までは仲が良かったのではないか、と信じています。最後のときは、私からブロックしました。断絶しました。そしてそれを彼は喜びました。客観的に考えればきっと、私のことを鬱陶しく感じていたんでしょう。気持ち悪いと考えていたに違いありません。私も彼を最後のときは気持ち悪いと感じていて、それがブロックする最大、唯一の要因でしたから。

話を戻します。

事件がどうして起きたのかというと、きっかけを作ったのは私ということになります。とあるクラスタを、より同じ趣味でまとまれる、一つのクラスタをつくり、団体、グループなどを作った、首謀者のうちの一人でした。

志向的には当然新規参入者的な方面で、それをより強くさせたような形でした。

当然、昔からいる方からは批判されるし、嘲笑されるし、中道的な方からも敬遠され、ブロックを検討されることだってありました。

だが、なぜでしょうか。悪ふざけのつもりなのか、彼らは監視しました。その詳細は言いませんが、とにかく、気持ちが悪かったです。派閥の防衛意識か、そのような責任感からなのか、意味が分からない、それだけにつきました。

その後も、色々とありました。

とにかく、気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。本当に、それだけでした。

いいことなんてなにも、なかったです。

最終的に私はアカウントを消して、ブログを開設し、今に至ったと、そういうことになります。誰も見てないただの日記帳のようなものなのですが、それでいいです。ブログでBANされるようなことがあったりしたらそのときは素直に日記をつけると思います。ツイッターのような短文投稿サイトを用いるというのは、文章的に作家にとって害をもたらせるなどという類の話をどこからか聞きましたし。

話したいことに題を移動させていただくのですが、一つにコミュニティに属する、ということは絶対にしてはいけない行為だと勝手に思いました。特に自分のような人間には。

『作家は孤独であれ』なんていう大層に見えるがしかし中身薄っぺらそうな言葉を自分の口から吐くというのは控えます。評論家さまに任せますし、ワナビーの自分が言っていい台詞ではありません。

だけど、そうだとは思います。孤独であった方がいいし、図書館の公開書庫で根暗に本を読み続ける。なんでもいいから本を読む、読む、読む。そして書く。そういうのが、僕にはあっています。実際、半年前までの僕はそれを貫徹していました。書くことに関しては自信はありませんでしたが。

集団からはなにも生まれません。全体主義と排外主義と無数の排泄物しか生まれません。排外主義と排泄物は語頭が同じですよね、そういうことです。クソと全体主義しか生まれません。

だから、一人がいい。僕は一人でいたい。一人でいなければならない。そうでないと、小説は書けないしいいものも生まれない。群れて生み出せるものは熱とゴミです。ワールドカップのときの渋谷に行けばわかるでしょう。行ったことありませんが。

そして、ツイッターとかでなにかを呟くのも、極力控えるべきです。自分の言葉は全て財産だと思い作品に吐き出したほうがよほどいいです。作品が汚れてもかまいません。一生のうちに10本しか小説は書いちゃいけないって誰が言いましたか。イエスですか。モーセですか。そんなんだったら無神論で結構です。というか前から無神論者でしたし私。

そして、自分の場合に限られると思うんですが、あと某カタカナ名の反共主義者でしたかね、その方もあると思います。昔の話を出せばGA文庫の誰かさまですね。そういう風にいうと生意気な気もしますが、いいとして。

政治的なことをつぶやくってのは、かなりのリスクです。作品が政治的なのは別にいいです。ですけど作者が政治的だと、例えば排外主義者だったりする偏狭なお方だったりの場合、いろいろと制裁を食らっちゃいます。致し方ないですね、ヘイトスピーチ禁止法が世の中にはありますので。

それ以前に、法律とかの問題じゃありません。今の日本は色々と政治的に厄介な国です。新右翼活動家で刑務所に勤めていた方の本が出版され何十万部三島由紀夫賞候補っていう時代じゃないんです。ほんと。調律の帝国は好きなんですけど、時代が変わってきています。

そして、文章力が落ちてしまうかもしれない、っていう問題はあります。なんとなく感じますし、ツイッターやると明らかに時間が無くなります。クソですよほんと。まあワナビーのほとんどは自分のようなツイ廃じゃなく毎日切磋琢磨に作品と汚物を生み出しているのでしょうが。流石に今のは汚かったですか。ええ、すみません。謝罪します。

とにかく、そろそろ結論付けなまずいということで、最終ステップに進みましょう。

ツイッターとか、フェイスブックとか、グーグルプラスだとか、インスタグラムとか、なんでもいいです。SNS全般です。

やめた方がいいです。

自分には、害悪しかもたらしませんでしたし、もう二度とあの世界に戻ることはない、そう決めてます。例外は作家になって仕事垢をつくったときだけですね。そのぐらいです。そのときも某カタカナ名の反共主義者さんのようなアカウントにするつもりはないです。

カクヨムも嫌いですね。ええ。一人でコソコソひきこもりながらニヤニヤしながらオタクして書きましょうよ、作品を。オタクしてアニメ見るんじゃなくて、オタクして小説を書きましょう。

ツイッターやってるやつなんてリア充です。だから、引きこもりましょう。

オフラインが、そう。ネットなんてなかった時代が、作家にとって一番すごしやすかったのではないか。そう思います。

 

私は、小説家になる決意を、しました。

ただ、それだけの報告です。ーー長くなりましたが、こんな怪文書にわざわざアクセスし最後まで見てくれた方がいたなら、それはそれで。ほかにやることがあるんじゃないですかね。

 

それでは、またいつか